冷たい雨ですが
ニコニコもりたです
自分で言っちゃあおしまいなんですが
笑顔が素敵です(笑)
よくずっと笑ってるねとか、
よくそんな愛想笑い続けられるね、
とか言われることがあります
愛想笑いではありません
では、ぼくなりにぼくの「笑顔」について
考察してみます
ぼくは大阪の貧乏長屋で
四人兄姉の末っ子で産まれました
兄姉は計画的に二つずつ年上で
ぼくの幼少期の思い出は
上の三人がぐいぐい進むとゆうか
ぼくはただただ付いていくので精一杯
みたいな
早生まれ、未熟児(40日も早く出てきた)と
いうことも原因にあったかもしれませんが
運動神経がにぶく、
鉄棒で逆上がりができたころには、
みんなは足掛けあがりをマスターしてたくらい
足は遅いし算数苦手だし
ただ唯一、絵や漫画を書くのがすきで
図画工作だけが取り柄でした
家では兄姉にどんくさい!とか
おっちょこちょい!と常に言われ
(大阪弁なので本当はめっちゃえげつないです)
学校では体の大きな同級生に何も敵わず、
でもいじめられることはなく、
「森田の書くマンガめっちゃおもろいな」
なんとなく一目置かれてた気がします
と、ここまで書いてなにをお店のブログで
人生語り出してるんや?と思いはじめましたが、
ぼくは書き出すと(このブログもこんなことを
書くつもりなかったのに)思いつきでいくらでも
言葉がでてくるのでそれにまかせてるんですが、
ま、いいか、あかんかったらまた怒られよう
続けます
ぼくの笑顔は、その始まりは防御でした
人並みに何もできない、
どうしていいかわからない、
このままでは泣くか暴れるしかない、
でも男の子だしとか、ケンカなんてできないし
笑うしかない
こんなこと考察したことないのですが、
今こうして書いていてそうだったろうなあと
思うのです
笑うしかない
やがてもう少し知恵や世渡りを見いだしてから
高校生でアルバイトに明け暮れてたころ
それなりにお仕事ができる様になったときに
猛烈な肩凝り、顔面のコリに悩まされたことが
あります
笑いすぎ
しかもそれこそが愛想笑い
おもしろくもないのに無理に笑ってるかんじ
20歳でテレビ番組の制作会社に入り浸り、
ADとしてボロ雑巾のように働いていたころも
しんどかったんです
で、ふと気づきました
吉本の若いお笑い芸人を使ったロケで
ぼくたち裏方はカメラの後ろで
必死に笑います(笑)
笑って場を盛り上げて、芸人さんに
もっと面白くなって欲しくて
でも、そのときにやめようと
笑いたくないのに笑うのはやめようと
決心したと思います
ただ、職場ではそれが仕事ですから、
笑うことが必要なスキルですから
だから代わりに「愛してみよう」と
気持ちを切り替えたのです
何を愛するか?
相手も、自分も、今ここの状況も、
いくらしんどい仕事でもそれを、
愛してみればとゆうか、
単に好きでやってみられれば、
自然に微笑むことができるし
10回に1回くらいは声をたてて
馬鹿笑いすることもあるかもしれないし
つまり、笑うために笑うのではなく
笑えるように取り組む
生きる、関わるとゆうことです
なんか大げさな物言いになってしまいましたが
ぼくにとっては単純です
今を好きになる
その好きな場にお客さんがくる
好きになってほしいから
とかそんな打算も計算もなく、
ぼくが好きな場に来ていただいたわけだから
眉をしかめるなんてことも、
無表情ですかしたりすることも
ありえないわけです
フツーに笑っていられるのです
すでにぼくの笑顔は防御ではありません
自然体です
これが50数年笑って生きてこられた
ぼくなりの「笑顔」です
それでもね、
40代のころ、仕事でどん底を味わい
絶望に悩み苦しんだことがあります
そのとき、
「笑うことをやめる」
と心で宣言したことがあります
ぼくの眉間の縦じわは、
その時に刻まれたものです
そんなこんなあって、
今は自由に笑ってます
もはや肩凝りなんてありません(本当ですよ)
顔面もやわらかいと思います(誰かさわって)
そんな森田がおります
今夜の落ち合いビーボ!
落ち合いましょー

写真は二年前、副業マッサージ師時代の一枚
同じスキンヘッドの同僚とラーメン屋ぽくパチリ
待ってまーす!
♡
ニコニコもりたです
自分で言っちゃあおしまいなんですが
笑顔が素敵です(笑)
よくずっと笑ってるねとか、
よくそんな愛想笑い続けられるね、
とか言われることがあります
愛想笑いではありません
では、ぼくなりにぼくの「笑顔」について
考察してみます
ぼくは大阪の貧乏長屋で
四人兄姉の末っ子で産まれました
兄姉は計画的に二つずつ年上で
ぼくの幼少期の思い出は
上の三人がぐいぐい進むとゆうか
ぼくはただただ付いていくので精一杯
みたいな
早生まれ、未熟児(40日も早く出てきた)と
いうことも原因にあったかもしれませんが
運動神経がにぶく、
鉄棒で逆上がりができたころには、
みんなは足掛けあがりをマスターしてたくらい
足は遅いし算数苦手だし
ただ唯一、絵や漫画を書くのがすきで
図画工作だけが取り柄でした
家では兄姉にどんくさい!とか
おっちょこちょい!と常に言われ
(大阪弁なので本当はめっちゃえげつないです)
学校では体の大きな同級生に何も敵わず、
でもいじめられることはなく、
「森田の書くマンガめっちゃおもろいな」
なんとなく一目置かれてた気がします
と、ここまで書いてなにをお店のブログで
人生語り出してるんや?と思いはじめましたが、
ぼくは書き出すと(このブログもこんなことを
書くつもりなかったのに)思いつきでいくらでも
言葉がでてくるのでそれにまかせてるんですが、
ま、いいか、あかんかったらまた怒られよう
続けます
ぼくの笑顔は、その始まりは防御でした
人並みに何もできない、
どうしていいかわからない、
このままでは泣くか暴れるしかない、
でも男の子だしとか、ケンカなんてできないし
笑うしかない
こんなこと考察したことないのですが、
今こうして書いていてそうだったろうなあと
思うのです
笑うしかない
やがてもう少し知恵や世渡りを見いだしてから
高校生でアルバイトに明け暮れてたころ
それなりにお仕事ができる様になったときに
猛烈な肩凝り、顔面のコリに悩まされたことが
あります
笑いすぎ
しかもそれこそが愛想笑い
おもしろくもないのに無理に笑ってるかんじ
20歳でテレビ番組の制作会社に入り浸り、
ADとしてボロ雑巾のように働いていたころも
しんどかったんです
で、ふと気づきました
吉本の若いお笑い芸人を使ったロケで
ぼくたち裏方はカメラの後ろで
必死に笑います(笑)
笑って場を盛り上げて、芸人さんに
もっと面白くなって欲しくて
でも、そのときにやめようと
笑いたくないのに笑うのはやめようと
決心したと思います
ただ、職場ではそれが仕事ですから、
笑うことが必要なスキルですから
だから代わりに「愛してみよう」と
気持ちを切り替えたのです
何を愛するか?
相手も、自分も、今ここの状況も、
いくらしんどい仕事でもそれを、
愛してみればとゆうか、
単に好きでやってみられれば、
自然に微笑むことができるし
10回に1回くらいは声をたてて
馬鹿笑いすることもあるかもしれないし
つまり、笑うために笑うのではなく
笑えるように取り組む
生きる、関わるとゆうことです
なんか大げさな物言いになってしまいましたが
ぼくにとっては単純です
今を好きになる
その好きな場にお客さんがくる
好きになってほしいから
とかそんな打算も計算もなく、
ぼくが好きな場に来ていただいたわけだから
眉をしかめるなんてことも、
無表情ですかしたりすることも
ありえないわけです
フツーに笑っていられるのです
すでにぼくの笑顔は防御ではありません
自然体です
これが50数年笑って生きてこられた
ぼくなりの「笑顔」です
それでもね、
40代のころ、仕事でどん底を味わい
絶望に悩み苦しんだことがあります
そのとき、
「笑うことをやめる」
と心で宣言したことがあります
ぼくの眉間の縦じわは、
その時に刻まれたものです
そんなこんなあって、
今は自由に笑ってます
もはや肩凝りなんてありません(本当ですよ)
顔面もやわらかいと思います(誰かさわって)
そんな森田がおります
今夜の落ち合いビーボ!
落ち合いましょー

写真は二年前、副業マッサージ師時代の一枚
同じスキンヘッドの同僚とラーメン屋ぽくパチリ
待ってまーす!
♡
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